04.26.14:38
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05.06.00:21
え~今回は溯る事1998年富士での日本のSUPERGTの歴史に残るクラッシュ・・いや、
大事故を取り上げたいと思います。 1998年5月3日の出来事でした。その日の天候は雨、視界は最悪でした。 雨のためセーフティカーが先導していたのですが、セーフィカーは普通では考えられない、 160km/hでの走行をしていたのです。そのために、一台のポルシェがクラッシュしてしまいました。 それに続き、一台のFerrariもクラッシュしてしまいました。レースは始まったばっかりなので、ガソリンは 満タンでした。その時にクラッシュしたFerrariは車体を激しくスピンしたポルシェに打ちつけ、 ガソリンをばらまいてしまいました。そのガソリンが引火して、大爆発が起こりました。 Ferrariに乗っていた、””太田哲也””選手はその炎上する車の中に約、2分間取り残されました。 横を通りかかった、RE雨宮の山路慎一がとっさに、車を降りて、消火器をFerrariにかけました。 山路選手は太田選手が死んでると思いましたが、「頑張れよ」と声をかけながら、 救助をしました。「消化剤をまくから吸うなよ。」とも言いました。それから、少したつと、 オフィシャルが来て、救助に参加しました。その時に、山路選手はオフィシャルカーを、 蹴りました。山路選手は、オフィシャルに「お前たちは何をしてるんだ!!」と、怒鳴りました その後は、車内から太田選手の右手を掴み、引っ張り出そうとしました。 だけど、山路選手は太田選手の右手が負傷してるのじゃないかと思い 思いっきりは引っ張れませんでした。車内から引きずり出された、太田選手の体からは、 煙が出てました。山路選手は、太田選手が救助だれた後は振り返らずに、その場を立ち去りました。 その後は、詳しいことは、分かりませんか、山路選手に罰金が出たようです。 山路選手は、優勝は欲しかったでしょう。だけど、優勝より人の命を助けようとしたのに、罰金とは あまりにもおかしいじゃないか思いました。 そんなこともあるSUPERGT (当時は全日本GT選手権)は常に、死と隣り合わせことなんですね。 PR
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